松戸市松戸に所在する金刀比羅神社に関するお知らせおよび調査願い(神社庁・県)
松戸市松戸に所在する金刀比羅神社地の開発に関する質問および意見書(市)

神社本庁   御中
千葉県知事 御中
松戸市本町 ○○○...................................
松戸神社氏子総代○○○○○○
      松戸市本町 ○○○....................................
     松戸神社氏子総代○○○○○○

電車が松戸に到着し、ほっとした気になるのは松戸駅東口の丘陵の斜面の緑が見えたときである。
松戸の北総台地は、かつてその緑地保全の議会決議があったと聞く。
しかし、松戸市松戸に所在するその緑の北総台地の一部は現在、無残とも見えるように伐採され、汚らしい禿山になっている.!!

(中略)

この松戸駅東口の緑地の伐採は、松戸市民に少なからぬ驚きを与えたものであった。
それは一般市民のほとんどが気づかぬ年度末、平成3年12月25日頃より行なわれ、そして平成4年1月7日には、見るも無残に伐採されたのである。

この緑地は私有地である。
しかしそれは単なる私有緑地ではない。
そこは寛政7年(1796)に建立された由緒ある金刀比羅宮の神域なのである。
参考図へ

明治18年5月5日、私有地松戸市字向山に建立された金刀比羅宮については以下の公式記載がなされている。なお本地の面積は 156坪5合、これは516.45u。
したがって松戸市向山1142−2の土地と考えられる。
(枠でかこった部分は、登記簿謄本等から転記したものであるが、詳細については同封の謄本原本の写しを参照願いたい。)

千葉県管下下総国東葛飾郡松戸町松戸駅字向山 金刀比羅神社
祭神 大物主神
由緒











鎮座年月等不詳といえども古老口碑に申し候事は寛政7年(1796)のころ修験、金秋院と申す者、松戸駅字向山へ金刀比羅神の小祠を建立奉祭り在候ところ、享和年間(1801−1803)に至り信徒大いに相増し、本殿殿等を建築し、またますます崇敬を増し、為に松戸駅中はおおいに繁栄の地と相成り候ほどの義に御座候ところ、天保のころより次第に衰微し、建物等追々破損し、ついに文久年間(1861−1864)に至り殆ど廃滅に属し候につき御神体は○○○○預り、私祭り在候ところ近来又々信仰のもの多人数在りこれ候につき再興出願。

明治18年5月5日許可。

社殿間数間口 3尺5寸 奥行3尺
向拝間口 3尺5寸 奥行2尺3寸
拝殿間数間口 3間    奥行2間3尺
向拝間口 8尺5寸 奥行6尺5寸
境内坪数 156坪5合(156.45u) 民有地第一種
神官 松戸神社祠掌兼務 宮野重寧
信徒戸数 1842戸
管轄廳距離は里は町25間2尺
永代資本金 400円


資料1


本社のある松戸市字向山1142−2と隣接する同字1142−1も以下に記載されているように私有地であるが、1142−2と共に金比羅宮と賃貸関係があった。その賃貸の沿革は以下のようになっている。
明治21年 6月27日 松戸市字向山1142−1・2
地目   郡村宅地
所有者  ○○○○外10名持
沿革   増徴地租
明治35年

地目   郡村宅地
沿革   増徴地租
昭和6年3月

地目   宅地
沿革   増徴地租
昭和11年6月 沿革   賃貸価格修正
昭和24年5月 沿革   賃貸価格修正


資料2

戦後の宗教法人制度の改革によって、金比羅神社は次のように法人登記された。
昭和28年 松戸市松戸1142番地
宗教法人登記
名称 金刀比羅神社
主たる事務所 松戸市松戸1142番地
役員 松戸市小山 137番地 代表役員 湯浅栄蔵
目的






本神社は大物主之命を奉斉し、公衆礼拝を備へ、神社神道に従って祭祀を行なひ、祭神の神徳をひろめ、本神社を崇敬する者及び神社神道を信奉する者を教化育成し、社会の福祉に寄輿し、その他本神社の目的を達成するための財産管理、その他の業務を行なふ。
その他の事項
1・ 基本財産の総額 金90,600円
1・

公示の方法
神社の掲示場に10日間掲示して行なう。
1・

包括団体の名称及び宗教法人・非宗教法人の別宗教法人 神社本庁
1・


境内建物、境内地、宝物の処分に関する規則の定役員会の決議を経て役員が連署の上神社本庁統理の承認を受ける。

資料3
昭和31年 8月9日 松戸市松戸字1142番地
神社の所在地、松戸市松戸字向山1142番地−2および神社建造物の登記は以下のようになされた。

本殿 木造平屋建 .92u
拝殿 木造瓦茸平屋建 24.79u
所有権保存
所有者 松戸市松戸1142番地 金刀比羅神社
原因 平方メートルに書換え

資料4



1142−2は建立時の共有者、○○○○氏の死去により、○○○○、○○○○(明治35年2月14日生 昭和61年11月23日死亡)を経て、相続人○○○○氏(昭和4年1年27日生)によって以下のように登記された。
昭和62年 6月20日 松戸市松戸字向山1142番地−2 宅地 515.70u
所有権保存
共有者
松戸市松戸○○○○ 持分1/11
○○○○(生存
松戸市松戸○○○○
昭和4年1月27日生
昭和61年11月23日○○○○死亡により○○○○相続。

松戸市松戸○○○○ 持分1/11
○○○○(死亡)
東葛飾郡松戸駅○○○○
安政元年10月7日生
大正10年1月20日 ○○○○に家督相続

松戸市松戸○○○○ 持分1/11
○○○○(死亡)
東葛飾郡松戸駅○○○○
天保10年10月20日生
亡父○○○○次男分家の時戸籍成立。

松戸市松戸1883 持分1/11
○○○○(死亡)
東葛飾郡松戸駅○○○○
文久元年7月5日生
父○○明治20年8月15日死亡により家督相続。
戸主となる。

松戸市松戸○○○○ 持分1/11
○○○○(死亡)
東葛飾郡松戸駅○○○○
天保10年1月7日生
明治16年12月20日隠居して家督を長男○○○に譲る。

松戸市松戸○○○○ 持分1/11
○○○○(死亡)
東葛飾郡松戸駅○○○○
慶応2年10月10日生
明治13年11月15日家督相続人として戸主となる。

松戸市松戸○○○○ 持分1/11
○○○○(死亡)
東葛飾郡松戸駅○○○○
弘化4年10月11日生
明治16年4月16日相続。戸主となる。

松戸市松戸○○○○ 持分1/11
○○○○(死亡)
東葛飾郡松戸駅○○○○
文久3年11月8日生
明治44年12月16日死亡。長男○○家督相続。

松戸市松戸○○○○ 持分1/11
○○○○(死亡)
東葛飾郡松戸駅○○○○
嘉永元年11月25日生
明治8年8月 3日相続。戸主となる。
大正5年1月29日死亡。次男○○家督相続。

松戸市松戸○○○○ 持分1/11
○○○○(死亡)
東葛飾郡松戸駅○○○○
嘉永4年11月14日生
大正11年9月5日死亡。○○○家督相続。

松戸市松戸○○○○ 持分1/11
○○○(死亡)
東葛飾郡松戸駅○○○○
嘉永5年10月5日生
明治11年12月14日南相馬郡泉村から転籍。

資料5

記載の通り、○○○○氏以外はすべて過去の人である。住所を証する書面として戸籍謄本が添付されていた。
この登記の申請人はあくまでも○○○○氏のみであり、他の者は共有の保存登記上、過去の権利者として記載されることによって、この登記は可能となったようである。つまり、○○○○氏が自分の持ち分について相続登記をする必要上、共有者である人達をも登記簿上に表さなければならないためになされた措置である。

今後他の共有者は、それぞれ相続による持分移転登記をすることになる。その時は各相続人の現住民票が要求されることになる。

被相続人○○○○の相続に関しては、公正証書遺言で○○○○氏が持分全部を取得する相続関係説明図が添付されていた。

なお11名の所有物であるという証明資料は添付されていなかった。これは本登記が保存登記であるためである。

表示登記のほうは、もとの申請年月日に受付番号が不明のため、閲覧ができなかった。こちらにはその資料が添付してあると思われる。

昭和62年6月15日、○○○○氏が相続を受けた共有地1142−2の11分の1はその半分が売買され、以下のように所有権の一部移転の登記がなされた。

昭和62年 7月20日 松戸市松戸字向山1142−2 宅地 515.70u
所有権一部移転 原因 昭和62年6月15日売買
共有者


松戸市○○○○○ ○○○○番地
株式会社 ○○○○設計事務所
持分1/22

資料6

一方、神社敷地内にある参道は現在、松戸市松戸1141−5および1141−6として表示されている。
昭和63年 3月7日 松戸市松戸1141−5 宅地 125.14u
所有権保存 大蔵省
原因 不詳

資料7
昭和63年 3月30日 松戸市松戸1141−6 雑種地 204u
所有権保存

松戸市○○○○  ○○○○番地
株式会社 ○○○○設計事務所
原因 不詳

資料8




現在の鳥居の位置や公図、また添付した昭和5年に製作された松戸市内図資料9)から、また昭和52年に発行された松戸工兵学校校友会事務局発行の「陸軍工兵学校」内の市内詳細図資料10)から見て、金刀比羅神社には参道があった。参道がなければ神社本殿に到達することはできない。 参考図へ
この参道について、松戸市長は昭和62年9月21付の松土管第429号において、「松戸市松戸字向山1142番1地先から1142番1地先までの道路敷204.94uについて下記公用財産(道路敷)の用途廃止申請については、現地調査の結果用途廃止されても支障なく思慮されますので副申します。」 旨の意見書を建設省所管国有財産部局長千葉県知事沼田武氏に提出している。

この「現地調査の結果、用途廃止されても支障なく支障なく・・」の副申によって、昭和63年3月7日、および同月30日、大蔵省と個人とによって添付図のような地番に保存登記されたと思われるが、現地調査の時点で神社本殿にいたる参道について、包括団体であり、賃貸借関係にある貴庁、および一一四二−二番地の共有者の相続人等に問い合わせ等をなされたうえで「用途廃止されても支障なく支障なく・・」の判断をなされたのであろうか。

前述の、昭和62年7月20日に一部移転された松戸市松戸字向山1142−2の22分の1の登記は、錯誤の為以下に更生された。

昭和63年 6月30日 松戸市松戸1142−2
二番所有権更生
原因  錯誤
目的  ○○○○持分一部移転
 ○○○○ 持分1/22
 株式会社 ○○○○設計事務所
       持分1/22


追記
500uをこえる土地の形状を変更する行為は開発行為であり、都市計画法による開発行為の届け出とその許可が必要なものである

しかし、この市民の目にも止まっている開発行為、「松戸の象徴とも言うべき斜面の緑地の伐採」は、都市計画法による開発行為の届け出がなされる以前に、行なわれた。(緑地の伐採、および境内階段の破壊が開発行為にあたるか否かについては、現在松戸市に質問中である。)  現在工事は中断しているようである。

開発行為の届け出は松戸市建築部住宅課に提出する。
しかし本工事はいまだ開発行為の届け出はなされていない。住宅課の弁によれば 「開発行為は土地の造成工事等であり、樹木の伐採はそれにあたらない。」 との解釈であるが、ならば 「本殿に至る階段等の取り壊し」 についての質問については、どのように説明するのであろうか。

しかし、たとえ 「知らないうちに行なわれた」 ものであっても斜面緑地の伐採、土地の形状の変更は歴然たる事実である。

行政はなんらかの問題があったればこそ、現在事業を中断させているのではないだろうか。さすればもし 「業者が違法のうちに行なった行為」、行政の 「許可を得ずにした行為」 を行なった業者に対して、当然現状復旧を含む断固たる処置を取ることが必要ではないだろうか。

本件に関する開発行為に対する許可等の問題についても、貴庁にご調査をお願いするものである。

平成4年5月
tenzan
昭和5年の松戸東口
松井天山画 松戸町絵図 より
聚海書林版   解説 森田保/山本鉱太郎
金比羅神社と八十八ヶ所 ミニ札所赤枠右の地蔵群
現松戸東口 イトーヨカドー/プラーレ  ライオンズマンション