平 潟 柳 巷   ある遊郭建築の最後 写真 池田ただし  文 後藤 真男 
アサヒグラフ 1994年11月18日号







襖の下張り
江戸時代、旅篭屋当時の宿帳を襖の下張りに使っていました。
宿泊者の名前が書かれていました






千葉県松戸市にあった遊郭建築が今夏、姿を消した。
大正時代に贅をつくして建てられた木造建築だったが、昭和三十年代以降は大学の学生寮として使われ、ここ五、六年は無人のままだった。
おおぜいの女たちの涙を吸いつづけ、そして学生達の青春を見つづけた(昭和33年以後、司法試験のための学生寮となった)この建物に、壊される前、レンズを向けた。(池田ただし)


大正時代に建てられた「平潟遊郭・三井屋」・・・。
百坪の敷地に建つ、この立派な瓦屋根をもった歴史的な建物は、今年の夏、跡形もなく消えてしまいました。
障子の格子の美しいシルエット、石燈篭と井戸のある中庭、ほどよい間尺の小部屋の数々、そして柔らかな光を浴びる中庭が望める回廊・・・・・
今思い出してみても、建物のすがたがはっきりと蘇ってきます。


・・・・平潟遊郭三井屋は関東大震災の後、その方の祖父である新宿淀橋の名士の方によって建てられたものだそうです。この方がかなりの粋人だったことや、当時、新宿三光町に材木商を営む親戚筋がいた関係もあって、技術と建材に関しては相当なものを使ったようだといいます。

中略

金箔を襖や漆塗りの床の間、やはり漆の襖の桟、砂ずりの壁、「手がすいたときやっておいてよ」と指物職人に頼んでつくってもらったという障子やガラス格子の建具、外国から手に入れた花模様のタイルなど、埃を払いのけ、明かりを近づけて見れば見るほど、溜め息がでるものばかりです。

中略

床を毎日、丹念に磨きあげていた当時、それは艶のある素晴らしい空間だったと聞いています。

すべての人が貧しかったあのころ、一夜だけでもお大尽、浮世のつらさを一時でも忘れて、贅をつくした空間で接待を受けることのできる、そんなところだったようです。

女たちの涙も忘れてはなりません。・・・・・

後略
後藤 真男